2013年4月7日

障害者権利条約の「合理的配慮」とは何だったか


報道によると、「障害者差別解消法」について自民、公明、民主が三党合意し、民間における配慮を努力義務にとどめるということになったということだ。この法律は、国連の障害者権利条約(Convention on the Rights of Persons with Disabilities)を批准するために整備がすすめられた法律である。もとはといえば、障害者権利条約は障害者の差別をなくすことがその本旨である。差別をなくすことが努力目標であってよいはずがない。


日本国憲法第十四条では
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない
と差別されない権利が明記されている。あまり評判の良くない自民党の日本国憲法改正草案でも、
第十四条 全て国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
と障害の有無を加えている。

たしかに、現実問題としてあらゆる面で完全な平等を実現するというのは容易ではない。内閣府の役人がある集まりで話した権利条約の「合理的配慮」(Reasonable Accommodation)概念についての説明が分かりやすいので、思い出してみよう。
たとえば、老夫婦が二人で経営する小さなレストランがあり、入り口に段差があるとしよう。車いすの人も利用できるようにするには、スロープを付けたり、店内を改装して動きやすくしたり、トイレを改修する必要があるかもしれない。しかし、たいした売り上げもなくつつましく経営をしている老夫婦にはそんな資金はないので、そのままにしている。このような場合、この状態は障害者差別であるということができるけれども、障害者に対応するためにレストランを改修するには負担が重すぎる。そこで「合理的配慮」の出番だ。つまり、「さまざまな状況から判断して差別を解消するためのコストがあまりに重い場合は、合理的な範囲の配慮を逸脱しているので、依然として差別はあるけれども、それは社会的には納得しましょう」とする社会的合意にしようということである。
「合理的配慮」の概念を図示だいたいこんな文脈だったと記憶している。当然、同意できるレベルというのは国の豊かさによって異なるのもやむを得ない。それだけのコストをかける余力のない貧しい国では、どうしようもないことがあるのは厳然たる事実だ。

「障害者の権利に関する条約和文テキスト(仮訳文)」の第二条定義では次のように述べられている。
「合理的配慮」とは、障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。
つまり「合理的配慮」とは、原則差別禁止の中に盛り込まれた現実路線である。だからこそ、「合理的配慮」の枠の中に入るか入らないかという「分水嶺」を明確にしておく必要がある。そしてその一線を越えれば差別であると考えるということなのだ。差別であるということは、つまり憲法に反するということだ。

ウェブアクセシビリティの問題に即していえば、JIS X8341-3:2010 の等級Aに対応していることが、「合理的配慮」のギリギリの枠内と考えるのが妥当だろう。世界的に見ても、WCAG2.0 レベルAは最低限求められる基準であり、それはJISの等級Aと一致している。

ところで、「公共は強制で、民間は努力義務」というと、たとえば現行の障害者基本法第22条を思い出す。すこし長いけれど引用しておきたい。
(情報の利用におけるバリアフリー化等)
第二十二条  国及び地方公共団体は、障害者が円滑に情報を取得し及び利用し、その意思を表示し、並びに他人との意思疎通を図ることができるようにするため、障害者が利用しやすい電子計算機及びその関連装置その他情報通信機器の普及、電気通信及び放送の役務の利用に関する障害者の利便の増進、障害者に対して情報を提供する施設の整備、障害者の意思疎通を仲介する者の養成及び派遣等が図られるよう必要な施策を講じなければならない。
2  国及び地方公共団体は、災害その他非常の事態の場合に障害者に対しその安全を確保するため必要な情報が迅速かつ的確に伝えられるよう必要な施策を講ずるものとするほか、行政の情報化及び公共分野における情報通信技術の活用の推進に当たつては、障害者の利用の便宜が図られるよう特に配慮しなければならない。
3  電気通信及び放送その他の情報の提供に係る役務の提供並びに電子計算機及びその関連装置その他情報通信機器の製造等を行う事業者は、当該役務の提供又は当該機器の製造等に当たつては、障害者の利用の便宜を図るよう努めなければならない。
はじめの段落と2段落目は、公共の義務について「施策を講じなければならない」「特に配慮しなければならない」としており、3では民間に対して、「努めなければならない」としている。民間に対しては努力義務を課しているだけである。要するに、この条文を変える気はないのである。公共は義務だが、民間は努力目標というのは、これまでとほとんど何も変わらないということだ。あるいは、合理的配慮の範囲がほぼ公共の枠内だけに設定されているということもできる。

調べたわけではないけれども、そんな狭い枠でしか合理的配慮をできないのは貧しい国だけだろう。そこらじゅうがぬかるみだらけでジャングルの国で、交通バリアフリーといっても難しいというのはわかる。そして、同じ文脈で言えば日本も「貧しい国」のひとつなのだと思い知らされる。

もう一度Webアクセシビリティに戻ろう。世界の国がどうなっているのか?米国はよく知られているように、ADA法(障害のあるアメリカ人法)で差別を禁止しており、ADA法に基づく障害者から民間企業への訴訟は勝ち負けはさまざまあるにしても日常化しているといってよいだろう。オーストラリアはシドニーオリンピックでの訴訟が有名だ。英国は、DDA法のもとに実施計画を進めている。カナダのオンタリオは企業の規模を決めてアクセシビリティの法制化をおこない、その対応期限が迫っている。韓国は、罰則のある差別禁止法を定め、すべての法人が5年以内に対応することを求めている。公共機関は施行から1年以内だ。日本はといえば、総務省が3年以内に JIS X8341-3:2010 等級AA の対応を公共に求めた「みんなの公共サイト運用モデル改定版(2010年度)」があるのみで、努力目標でしかない。

世界のWebアクセシビリティの現実と日本の貧しさのコントラスト。憤慨するのを通り越してあきれて恥ずかしくなっている。

正直申しあげて、私も加担しているのかもしれないと思う。皆さんにお詫びしたい、泣きたくなるような気持ちだ。


0 件のコメント: